第13話 鍛冶屋エンディング
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人物情報【柘植三之丞 1542~1631】
伊賀忍者。名は清広。鉄砲術に秀で自ら一流派を開いた。天正伊賀の乱の頃より徳川家に接近。本能寺の変の際には、堺にいた徳川家康が、伊賀を越えて三河に戻るのを警護した。関ヶ原合戦や大坂の陣では、鉄砲隊を率いて参陣。のち幕府旗本となった。
勝負だから「悪い」もへったくれもないぜ。正々堂々と勝負…で、見事当方の勝利。これでベスト8進出。「山城伝」まであと1勝。
人物情報【稲富祐直 1552~1611】
一色家臣。のち、細川・徳川家臣。
鉄砲の名人で、稲富流砲術の始祖として名高い。
初め一色満信に仕え、主家が滅亡すると細川忠興に属した。しかし、忠興の勘気を被り、細川家を出奔。その後は、徳川家に仕えて幕府の鉄砲方となり、国友鍛冶衆の組織化などに貢献した。
稲富さんにも辛うじて勝利しベスト4。これで…
急ぎ自宅に戻って…
すると…
それがこれ。
初めて価値6の刀剣製作に成功。さすが、技能札の効果は大きいわ。
何だかんだ言いながら、またまた商人護衛の仕事を請け負って、下らん賊どもを斬って捨てる。
拙者には何の関わりもないことでございますが…
九州一円はほぼ島津が制覇していた。
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鉄砲を作ってみる。
価値0って…速攻で廃棄。
1580年1月30日、ストレス解消のため、商人護衛の仕事を請け負う。
よし、引き受けた。
身のほど知らずのクソどもめ。メッタ斬りにして琵琶湖に沈めたる。
情け無用(以後、脳内補完)。全員、斬り斬りに斬りまくって琵琶湖にドボン。湖泥にくるまれて永遠に眠るがいい。
2月4日、岐阜到着。
うむ。では達者でな。
2月9日、長船に帰着。酒場の女将から報酬をもらい、自宅に戻って鉄砲を1挺製作したのちに、再び商人護衛を仕事を請ける。今度は信濃国の小諸まで。
1580年3月18日、長船出発。いきなりからまれた。
退屈しのぎに、船上でのチャンバラごっこにお付き合い。
今度はクソどもを魚のエサに。はい、さようなら。
3月25日、小諸到着。
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別に用はない。偶然、出くわしただけ。そんなに目の仇にしなくてもいいと思うのだが…国司元相、案外狭量だな。
厳島の酒場で。
断ると何やら面倒なことになりそうな気がするので、ここは素直に「語り合う」を選択。何か有益な情報を入手できるかもしれないし。しかし…
時間の無駄だった。まあ、酔っ払いの戯言だから仕方ないが。
さて、当面は鍛冶の道を究めるために…
1578年12月11日、長船到着。そこから半年ほど、ひたすら刀剣製作に励んだのだが、どうも…
思い立ったが吉日。1579年6月16日、さっそく旅支度を整えて、長船を出立。
6月27日に鹿児島到着。八板金兵衛のもとを訪れる。
人物情報【八板金兵衛 1502~1570】
鉄砲鍛冶。名は清定。初め刀工であったが、種子島時尭の命により鉄砲の製造に着手する。数ヶ月を費やしてポルトガル製鉄砲の複製品を完成させたが暴発して失敗。娘をポルトガル人に嫁がせて、ようやく部品の製造技術を修得し、初の国産鉄砲の製造に成功した。
7月12日、今度は近江国・長浜へ。国友善兵衛宅。
人物情報【国友善兵衛 ????~????】
近江国友村の鉄砲鍛冶。国友村で最初に鉄砲を製作した鍛冶職人の一人。将軍・足利義晴が管領・細川晴元を通じて命じたとされる。のち、織田信長が鉄砲を本格的に運用するに至り、国友村は鉄砲の一大産地に成長。全国に名を馳せることとなった。
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1578(天正6)年1月1日、評定。輝元は石山本願寺への援軍派遣を決定。
その間に刀を作ったり…
芝辻清右衛門の下働きで硝石を購入したり…
その甲斐あって…
2月26日、吉田に帰還。
しばらくは、雑賀と吉田を往復しながら鍛冶仕事に精を出す。
しかし…思うような逸品(価値4以上)を作ることができませんな。
こういうことにもなる。
やっぱり、鍛冶関係の札で「大和伝」と「山城伝」を入手しないと無理か。ただ、「大和伝」はともかく「山城伝」は鉄砲の天覧試合で四位以内に入らないといけないので、難しい。
1578(天正6)年6月6日、雑賀で出会った浪人から耳寄りな情報。
出場を勧められたが…ちょっと時期尚早だわ。
1578(天正6)年8月21日。芝辻清右衛門から鉄砲製作の技術を会得。
鍛冶屋関係の所持札が増えたので、価値の高いものが作れるようになるかな(期待)。
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暇を見つけて、ひたすら刀を製作。
6月19日、「熟練工」札を入手。
鉄砲の製作については雑賀の鍛冶屋で教えを請うことにしよう。
それにしても、このシリーズではよく賊にからまれる。雑賀への道中も…
バカの一つ覚えみたいに同じセリフばっか。たまには気の利いた脅し文句でも使ってみろよ。
金で話をつけるなんて性分に合わんので、面倒だがいちいちお遊びに付き合ってやる。
7月15日、雑賀の芝辻清右衛門宅へ。
人物情報【芝辻清右衛門 ????~????】
鉄砲鍛冶。仙斎ともいう。根来の刀工であったが、種子島に伝来した2挺の鉄砲のうち1挺を入手した津田監物にその複製を命じられて、紀州第1号の鉄砲を製造した。その後は堺に移住し、堺は一大鉄砲生産地となった。
…とあるように、芝辻清右衛門はもともと根来の人で、雑賀とは直接関係はない。
それはともかく、清右衛門さんのもとで硝石購入の下働きを請け負う。
堺の南蛮商館で。
雑賀の町の宿に滞在し、腰を据えて芝辻清右衛門の仕事の手伝い。
またからまれた。
…この見るからにむさっくるしいヤツ。ホンマに腹立つわ。
怒りにまかせて斬り捨て、叩き伏せた結果…
剣士の称号をGET。
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1577(天正5)年1月1日、ようやく巡ってきた 兵糧購入 の主命。
これまでに鍛えた算術と弁舌の技能を駆使して、3000貫の元手を12000貫以上に増やした。でも、肝心の兵糧はまったく購入せず。米のご飯は好きだが、兵糧米なんて必要なし。
吉田郡山城の備大将からの報。
織田信長、むちゃくちゃやな~。本能寺で志半ばにして非業の最期を遂げるのも、仕方あるまい。
2月21日、吉田に帰って…
はいはい。
くっそ~輝元の野郎、そういうところにだけは細かく目を光らせおって。
ふてくされて旅に出た。
3月8日、岐阜入り。「備前伝」札を元に鍛冶屋で1日だけ作業を手伝い、「美濃伝」をGET。
同様に3月12日には小田原で「相州伝」をGET。
3月23日、吉田に帰還して自宅に鍛冶場を開設。
炭薪を10個いただいた。
「おじちゃん」 だと!? 風貌はともかく17歳の少年に向かって「おじちゃん」とはどういうことじゃ。が、内心の怒りは押し隠して…
後々、何かでトクがあるやもしれん。
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さて、ここから先は、しばらく 鍛冶屋 と 武士 の二足の草鞋を履いて生きることにする。
1576(天正4)年4月14日、備前・ 長船 入り。武器製作のための鍛冶場を作る目的で、鍛冶屋で鍛冶仕事の基本を修得する。
長船(おさふね。現在の岡山県瀬戸内市長船町)は古来より刀の生産地として有名で、往年の国民的人気時代劇「水戸黄門」でも取り上げられたことがあるらしい。一度も行ったことはないが「備前おさふね 刀剣の里」として観光地化され、刀剣博物館なるものもあるようだ(備前長船刀剣博物館)。地図で確認すると、岡山から赤穂線で七番目の駅。
まず、砂鉄採集の下働きを申し出て、札をGET。
砂鉄といえば、やはり中国山地、特に奥出雲だろう。
砂鉄採集中の後ろ姿。
5月1日、長船に戻って
5月3日、毛利家の吉田郡山城に出向いて仕官対象の人物を探す。
仕官の目的は以下の3点にある。
1:主命「兵糧購入・売却」による資金稼ぎ
2:技能師事による弁舌技能習得
3:「鉄穴流し」の技能修得
3番目の「鉄穴流し」は、鉱山技能が優秀な武将と親密になることによって、イベントが発生するらしい。
ついでに、今シリーズの開始地を倉敷にした理由は以下のとおり。
1:道場がある
2:砂鉄の産地(奥出雲)が比較的近い
3:鍛冶屋のある長船に近い
4:商家のある尾道に近い
5:大大名・毛利家(一時的仕官先)の本拠に近い
なるほど納得という感じだ。
で、吉田郡山城の武家屋敷を訪れた結果、この人が適格かと。
さっそく…
しかし…
それならば…と手合わせを申し込んで親密度を上げたのち、再度仕官をお願いすると…
よし。
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