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2009年6月

第19話 天城家 独立宣言(=謀反)

さて、代が替って主家の方針に変化はあるのか。念のため、輝元(もはや呼び捨て)に確認すると…

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はん。やっぱりダメだな、三代目の我が儘ぼっちゃんは。能力値を見ても、野心だけは一人前だが、それにともなう覇気も実力もない。「小心」とか「軽率」とか、マジ勘弁してほしい。

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こんなボンボンに“おまえ”呼ばわりされるのも、もうウンザリだ。では、腹を決めて○反の準備を始めますかな。

6月28日。

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はい、どうも。でも…もう引き返しません。

そして運命の7月11日。

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来るなら来い。返り討ちにしてくれるわ。

独立直後の天城家と他大名家との関係。

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当然ながら、毛利家と親密な勢力とは一転して関係が悪化している。次に勢力図。

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周囲は敵方ばかり。

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第18話 毛利元就 死去

さて、島津攻めを継続するにあたり、ちょっと禁じ手を使ってみた。

県城攻撃の直前に内城下に出向き、島津義久・義弘兄弟を且山城のわが茶室にお誘い。招待を受けた二人は、主・天城大鷹より一足先に且山城に赴き、勝手に茶室に入る。

本来ならば、主も遅滞なく帰参して茶会を催し、お客をもてなすのがスジだが、ここはスジも何もさておき、客二人を放置したまま県城に向けて出撃。その間、客はひたすら主の帰りを待ち続けることになる。

9月19日、島津兄弟が不在のまま、いとも簡単に県城(宮崎県延岡市)攻略。

太閤立志伝5攻略史

おそらく島津側では二人の不在について、物議が巻き起こっていただろうと思う。

で、且山城に帰還して茶室に行くと…

太閤立志伝5攻略史

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いやぁ、お待たせお待たせ。待ちぼうけを食わせたこともさることながら、二人を茶室に放置(監禁)した上で、盗人のように県城を奪ったことが誠に申し訳ないのだが、それは言うまい。

恐るべし「天城牢」

でも、これってやっぱりチートですよねぇ。

日付不明だが…

太閤立志伝5攻略史

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人物情報【蠣崎慶広 1549~1616】
蠣崎家五代当主。季広の三男。幼名は天才丸。姉妹を津軽・秋田の有力豪族に嫁がせて勢力基盤を固めるとともに、豊臣秀吉に謁して蝦夷地における交易権を獲得、安東家からの独立を果たす。のち徳川家康に家系図を献上し、松平と前田から一字ずつもらい、姓を「松前」と改めた。

ここしばらく、勲功稼ぎのために島津との小競り合いを続けているわけだが、どういうわけか大殿・元就は積極的攻勢に出ようとしない。主家の方針が島津攻略と明確になれば、こちらの動きも違ってくるのだが、大殿を問い質しても…

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「このまま延々と守勢を継続していくおつもりですか?」

「…」

ってな具合で、まったく張り合いのないことおびただしい。史実における晩年の元就公の心情を忠実に再現しているのかもしれないけど。

さらに、後継者と目されているこの人を訪ねても…

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のん気なものだ。このままじゃ、毛利家は凋落の一途である。

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第17話 大友家滅亡

5月13日。

太閤立志伝5攻略史

5月27日。

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6月6日。

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やっぱり、大友からの寝返りコンビは詰めが甘いようだ。それじゃ、真打ち登場といきますかな。

11月11日から府内城攻略戦を開始。

太閤立志伝5攻略史

忍術の技能が高い武将に「破壊」を命じて、防御度を下げておいたおかげで、わずか10日あまりで…

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いよいよ、大友攻めも大詰めである。府内城に続いて、11月28日から岡城(大分県竹田市)攻め。

特技・連携で敵を粉砕。

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で、12月6日。

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敗軍の武将の処遇。

太閤立志伝5攻略史

この方は、やはり生かしておくわけにはまいりますまい。どうぞ自決を。

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ということで、大友家は滅亡。その他、この人や…

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この人など、有能な人材は積極的に登用を試みて、陣容を強化する。登用し過ぎという話もあるが…。

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第16話 ついに城主に!

9月初旬。安土城下で勧誘活動。滅亡した六角家の家臣が数名お住まい。

勧誘して自陣営に引き入れたものの、この人、ちっとも役に立たんかった。

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人物情報【山中俊好 ????~????】
六角家臣。のち豊臣家臣。柏木御厨を本拠として活動した土豪で、かつては柏木三家の一つに数えられた甲賀郡中惣の旗頭。六角家に仕えて功があり、感状を授かっている。のち織田信長に属し、次いで豊臣秀吉に従った。

それにひきかえ、この人は内政面で素晴らしい活躍を。

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人物情報【増田長盛 1545~1615】
豊臣家臣。五奉行の一人。秀吉に近侍して石田三成らとともに検地などの政務に従事。豊臣秀次の死後、大和郡山を引き継いだ。関ヶ原合戦の際は、大坂城で豊臣秀頼を守り、戦後所領を没収された。

ついでに岡崎城まで足を伸ばして

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徳川家康。なかなかキリッとしたええ男じゃないか。三方ヶ原の戦いで武田軍にさんざん打ち負かされ、浜松城に逃げ帰る馬上でう○こ垂らしたヤツとは思えんな。

まあ、よい。いずれ、同じ恐怖を味わわせてやるから、首を洗って待っとれよ。

さらに足を伸ばして、躑躅ヶ崎館から春日山城へ。

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謙信殿、お目にかかれて光栄です。

11月27日、平戸で衝動買い。

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どこからか聴こえてくる寺尾聰の歌。年齢がバレますな。

12月22日。

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なんと…。

12月25日、尾道で。

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史実では、天正4(1576)年、足利義昭は備後の鞆に居を構えたそうだが、この世界には鞆という町はないので、最寄の尾道になったようだ。

前述のように、彼は征夷大将軍を辞したわけじゃないので、一応、名目上はまぎれもない「将軍様」。その権威をわが掌中に…と思って勧誘を試みたが…

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「武士になるつもりはございませぬ」って…あんた、もともと武士でしょうが。

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第15話 安土城 完成…だそうな

2月22日。

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時期はまったく違うけど、ほぼ史実どおりの展開。朝倉義景、哀れ。

気がついたら、織田の勢力が著しく伸張していた。

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いつの間にか大友方に奪還されていた城井谷城を、3月5日から11日にかけて再び攻略。

龍造寺家滅亡後、大友家家臣となった龍造寺信周から勧誘を受けた。

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けど、お断り。

3月19日、本阿弥光悦さんが逸品を制作してくれた。

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この「不二山」を織田信長や羽柴秀吉が譲れ譲れとうるさい。でも丁重にお断り。気持ちのよいものだ。

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4月18日、筒井順慶の居城・大和郡山城にて。

一度は取次ぎを断った小姓だが…

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名声が高くなると、こういう得もある。それにしても現金なガキめ。で、対面した筒井順慶、やっぱりハゲだった。

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第14話 大茶会 開催

10月26日。忍びや備大将や旅人から、次の情報を入手。

●木下藤吉郎が羽柴秀吉に改名。
●織田信長と足利義昭、武力衝突目前。
●赤松家が織田家に従属。

さて、大友氏との抗争で、小倉城攻略の総大将を仰せつかった。

太閤立志伝5攻略史

んで、一足飛びに結果は…

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楽勝。

11月17日。

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足利義昭は追放され、将軍家の山城・丹波・近江・若狭の御料所は信長の所領となった。一般的にはこれをもって室町幕府滅亡とされているが、義昭は将軍職を辞職したわけではなく、朝廷も解職を行わなかったので、公式記録では足利義昭は依然として征夷大将軍。したがって、信長の勢力圏以外では、その後もしばらくは権威を保ち続けたらしい。

話は変わって、 平戸で鍋島直茂と百武賢兼を勧誘して、配下に加えることができた。これは大きな収穫である。

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人物情報【鍋島直茂 1538~1618】
龍造寺家臣。清房の子。知友兼備の名将として名高い。大友家や島津家と戦って、肥前国内の勢力拡大に尽力した。龍造寺隆信亡き後は、若き主君・政家を後見して国政を執る。豊臣秀吉の覚えめでたく、次第に権力を強めると肥前の実質的な領主となった。

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人物情報【百武賢兼 1538?~1584】
竜造寺家臣。竜造寺四天王の一人。武勇百人に勝れるとして、主君・隆信から「百武」の姓を賜った猛将。今山合戦など諸戦で活躍した。沖田畷合戦では、隆信の身辺を守って有馬軍と戦い、討死した。

12月17日、長浜城で久しぶりに羽柴秀吉に面会。

太閤立志伝5攻略史

近い将来、敵として相見えることになる。12月25日、茶聖の称号を得た。

太閤立志伝5攻略史

これで茶室を開設できる。茶室といえば聞こえは良いが、実はこれ、またの名を「天城牢」という。その理由については後述の予定。

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