第16話 新弟子募集
1584年1月5日。またまた道場破り現る。
でも、前回の不届き者より、かなり礼儀正しい。
で、結果は…
1584年3月5日。
人物情報【高坂昌信 1527~1578】
武田家臣。弾正忠。武田家四名臣の一人。信玄の近習小姓として仕えて次第に頭角をあらわす。越後の上杉謙信の抑えとして、最前線基地である海津城を守った。家中随一の智将として活躍し、その慎重かつ冷静な用兵から「逃げ弾正」の異名を取った。
3月9日には、かの真田信繁(幸村)と…
人物情報【真田信繁 1567~1615】
昌幸の次男。信幸の弟。幸村の名で知られる。関ヶ原合戦後、九度山に蟄居していたが、豊臣家の招きで大坂入城。冬の陣では大坂城の弱点とされた三の丸南側に出城を築いて徳川軍を散々に打ち負かした。夏の陣でも徳川本陣に迫る奮戦を見せ「真田日本一の兵」と称された。
この人、槍の使い手だったが、この際どうでもよい。
3月13日。
人物情報【三好政康 1528~1615】
三好家一門。青海・清海などと号す。三好三人衆の一人。松永久秀らと謀り、将軍・足利義輝を殺害する。その後、久秀と対立し、久秀と結んだ三好義継とも戦う。織田信長が上洛すると抵抗したが、敗れて逃亡。のち豊臣秀頼に仕え、老齢ながら大坂の陣に参戦し討死した。
3月29日。
人物情報【富田重政 1554~1625】
剣術家。前田家臣。山崎景邦の子。
「名人越後」の異名を持つ富田流剣術の達人。富田景政に見込まれて養子に入り、中条流の流れをくむ富田流剣術を相伝された。武将としても優秀で、小田原征伐・関ヶ原合戦・大坂の陣などに従軍して多くの手柄を立てている。
翌30日。
人物情報【富田景政 ????~????】
剣術家。朝倉家臣。のち前田家臣。勢源の弟。
主家滅亡後、前田利家に仕えて数々の戦功をあげて重臣に列した。中条流剣術を学び、兄・勢源とともに富田流の開祖とされる。のち富田重政を養子に迎え、富田流を相伝した。羽柴秀次に剣術を指南したとも伝わる。
次いで…
さらに…
…ということで、主体的に任命した師範代第一号。門弟の数も1000人を突破。
★他の「太閤立志伝5」プレイレポートは「芸急歴史資料館」で。
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