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2009年12月

第7話 安東氏 滅亡

★1584(天正12)年1月24日

忍者衆とも誼を通じておくため、羽黒の里へ。

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★1584(天正12)年1月25日

ついでに、本庄城に回って善隣外交。

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★1584(天正12)年2月1日

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ということは、長宗我部の勢力圏が土佐から瀬戸内海沿岸まで拡大したということか。

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確かに広がっている。

★1584(天正12)年2月23日

昨年末に滅亡した鈴木家の残党を勧誘。

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人物情報【雑賀孫一 ????~????】
紀伊の土豪。鈴木佐大夫の子とされる。
雑賀衆と呼ばれる鉄砲傭兵集団を率いた。石山合戦では本願寺に加勢、卓越した鉄砲戦術で織田信長を苦しめた。信長没後、羽柴秀吉と対立したが、本願寺顕如を介して臣従。その生涯は謎に包まれている。

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人物情報【鈴木重朝 ????~????】
雑賀衆、のち豊臣家臣。佐大夫の子。
石山合戦では本願寺に属すが、降伏ののち秀吉に仕え一万石を領した。関ヶ原合戦では西軍に属し、伏見城を守る鳥居元忠を討つ戦功をあげる。戦後、浪人するが、のち水戸徳川家に仕えた。

雑賀衆だけに、鉄砲技能はやたら優秀。合戦で大いに活躍してもらおう。

★1584(天正12)年2月25日

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いわずと知れた日本最古の歴史書。上・中・下の全三巻に分かれる。

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第6話 浅利勝頼(事実上)追放

★1583(天正11)年12月30日

Tsubaki 椿桜花

「鐙屋が宇須岸-会津間の販路で荷留めを行っております」

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Amagi 天城大鷹

「ほう、鐙屋が荷留めとな。なかなか良い度胸をしておるではないか」

小ざかしい商家などひと思いに叩き潰してやりたいのだが、ゲームシステム上、それはできない。でも、念のため…と思っていろいろ調べてみると…ありました。

太閤立志伝Vイベント配布所「商家討伐」

ただ、イベントはゲームの途中から導入することはできないし、商家をぶっ潰すだけなのになぜか野戦が3回も発生するとか、ゲームとしての興をそぎそうな記述が見られたので、やっぱり商家潰しはあきらめることに。御用商人を使って、特定の商家を経済的に追いつめ、潰す(=倒産させる)ことはできんものか。

★1584(天正12)年1月7日

新年明けて屠蘇気分の湊城下。ゆきずりの旅人から…

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Amagi 天城大鷹

「この秀康、家康や秀吉には勿体ないほどの人物に成長するはずなのだが」

Tsubaki 椿桜花

「父である家康に生涯を通じて冷遇されたことから、養父の秀吉を慕うようになります。秀頼とも親密になり、もし徳川幕府VS豊臣家の戦いが起こったら秀頼に味方する、とまで言いきったという史料があります」

Amagi 天城大鷹

「何とか麾下に加えることはできんものかのう」

Tsubaki 椿桜花

「調査しておきましょう」

★1584(天正12)年1月8日

津軽氏と同盟。

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★1584(天正12)年1月10日

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これは仕方あるまい。有馬氏、あまりにも節操がなさすぎたからな。

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第5話 角館城攻略

まずは、先日コメントいただいた袁紹さんのリクエストに応じて、安東家の内情を。

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★1583(天正11)年11月3日

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Amagi 天城大鷹

「なに! 結局、自刃か」

Hadori 羽鳥能高

「織田信雄の助命工作を秀吉が反故にしたんでしょう。さすが、秀吉というか…」

Yamato 大和武蔵

「面子を潰された織田信雄が、このまま黙って引き下がるとは思えませんな」

柴田勝家に呼応して2度にわたって反秀吉の兵をあげた織田信孝(信長の三男)が、羽柴秀吉の命令で尾張内海の野間の大御堂寺で切腹させられた。信孝は、辞世で「昔より主をうつみの野間なれば むくいを待てや羽柴筑前」と秀吉への恨みをうたった。
(「クロニック戦国全史」より)

ちなみに、イエズス会宣教師のルイス・フロイスは、信孝を「前途有望な青年」と評したとか。

Tsubaki 椿桜花

「やはり、織田信雄が動きました」

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小牧および長久手の地で羽柴秀吉・徳川家康両雄は激突した。緒戦に敗れた秀吉ではあったが、たちまち外交戦で家康を追いつめ、両者は膠着状態に陥り、まもなく休戦した。この戦いで羽柴・徳川双方とも、お互いを敵とする愚を悟ったのである。
やがて、両者の間で和睦の機運が高まっていった…

★1583(天正11)年11月4日

Yamato 大和武蔵

「秀吉と家康の間で和解が成立しました」

Tsubaki 椿桜花

「家康は、次男・秀康を秀吉の養子として大坂に送った模様です」

Amagi 天城大鷹

「事実上の人質というわけか…まあ、せいぜい猿芝居に興じているがいい」

★1583(天正11)年11月6日

安東攻めと並行して、当面ケンカする気のない勢力とは親睦を深めておく。

大浦城に津軽為信を訪ねて善隣外交。

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★1583(天正11)年11月7日

三戸城に南部信直を訪ねて善隣外交。

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★1583(天正11)年11月11日

九戸城に九戸政実を訪ねて善隣外交。

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★1583(天正11)年11月14日

高水寺城に斯波詮直を訪ねて善隣外交。

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★1583(天正11)年11月16日

横手城に小野寺義道を訪ねて善隣外交。

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第4話 対安東戦 開始

★1583(天正11)年9月22日

安東氏の本拠・檜山城下に赴き、安東家家老の浅利勝頼を訪ねる。

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ほらね。あっさりと寝返り。

このように、能力的にも性分的にも問題の多い男なので、いずれ解雇の可能性もあるが、現時点では敵の戦力を削ぐことに変わりあるまい。

その足で檜山城に当主・安東愛季を訪ね、宣戦布告。

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★1583(天正11)年9月24日

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Amagi 天城大鷹

「ちょっと待て」

Asari 浅利勝頼

「はい?」

Amagi 天城大鷹

「史実では、賤ヶ岳の戦いが4月21日、岐阜城にこもる信孝が、秀吉サイドの織田信雄(信長の次男)に投降したのが4月24日、それから秀吉の命で信孝が自刃したのは5月2日、トータルで10日あまりしか経っていない。それなのにこの世界では、3月初めの賤ヶ岳からすでに半年以上が経過しているではないか。その間、織田信孝はいったいどこで何をしていたんだ?」

Asari 浅利勝頼

「それは…拙者にはわかりかねまする」

Tsubaki 椿桜花

「信雄がかくまって説得を重ねる一方、秀吉に対して信孝の助命嘆願をしていたのかもしれませんね」

Yamato 大和武蔵

「結果として自刃は免れたということか。それにしても半年は長いな…」

織田-羽柴の動きはそれくらいにして、天城軍はいよいよ湊城に向けて出陣である。

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Amagi 天城大鷹

「構わぬ。そんなもの、いちいち気にしていられるか」

★1583(天正11)年9月26日

雄物川河川敷で、天城軍1万4千と安東軍1万が激突(雄物川の合戦)。

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山(丘陵部)に陣取って敵の接近を待つ。弓または鉄砲の射程距離に入ったら、比較的兵員の少ない備に攻撃を集中して各個撃破。状況に応じては、山を下って接近戦を挑む。その場合も、単独の備で敵に対峙するようなことはせず、できるだけ包囲陣形を構築し「連携」や「一斉攻撃」の特技を使って、敵を殲滅するという戦法。

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実際の野戦ではそう簡単にいくはずもないが、この世界では正攻法でしょ。前シリーズにおいて、2倍近い毛利の大軍(総大将は宍戸隆家)をこの方法で潰滅させて以来、天城軍の標準戦法となった。

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