第10話 祝言
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★1584(天正12)年12月28日
年の瀬も迫ったこの時期に驚愕の知らせが…
なんと、羽柴秀吉との争いに敗れたらしい。史実では、真田氏は織田-豊臣に臣従して豊臣家延命に少なからず功があったのだが、この世界ではだいぶ事情が異なるようだ。
ま、いずれにしてもこれは好都合。いずれ当家も羽柴と激突する予定なので、この際、真田を傘下に加え、事ある時には羽柴に意趣返しをしてもらうことにしよう。
年が明けて、1585(天正13)年。
他勢力との関係はこんな具合。
現在の天城家の本拠・湊城がある土崎湊について。
土崎は古くから天然の良港として知られ、鎌倉時代以来、豪族・安東氏の拠点として北日本海交通の要所であった。関ヶ原の戦いの後、国替えで佐竹氏が入部した後も久保田城の外港として栄え、北国七湊の一つとして称えられた。
1月3日、名生城に大崎義隆を訪問。
手合わせの結果…
1月18日。
人物情報【池田惣左衛門 ????~????】
酒田の商人。屋号は「鐙屋」。
廻船問屋。三十六人衆と呼ばれる有力商人の筆頭格で、奥州藤原氏の滅亡時に酒田に落ちた遺臣の末裔という。酒田の発展に努め、子孫は井原西鶴「日本永代蔵」に「北の国一番の米の買入、惣左衛門の名を知らざるはなし」と紹介されている。
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さて、安東家滅亡後の勢力図はこんな具合。
天城大鷹
「次のターゲットはおそらく南部氏ということになろうが、しばらくは様子見だな。あまりがむしゃらに版図を広げて周辺勢力の反感を買うのは、今は控えたほうがよかろう」
ついでに、現時点での天城家家臣団。
★1584(天正12)年3月12日
海賊衆とも親交を深めておくべきだろう。ということで、十三湊の砦を訪問。
天城大鷹
「当家が安東家を併合したんだから、安東水軍もわが傘下に入ってもよさそうなものだが…」
羽鳥能高
「海賊衆だの忍者衆だのは、われわれ武士よりもさらに独立独歩の気風を持つということでしょう」
外交を重ねた成果として…
以後、しばらくは内政に注力し、国力を蓄えることにしよう。
★1584(天正12)年5月5日
久しぶりに米転がしに従事して…
羽柴と長宗我部が淡路島で、島津と龍造寺が肥前・隈本のあたりで派手にやり合っているようだ。
★1584(天正12)年7月6日
南部家家臣にて九戸城主である九戸政実を茶の湯でもてなしたところ…
数寄者の称号を獲得。
★1584(天正12)年7月11日
安東水軍傘下の石巻の砦にて。
その帰途で…
天城大鷹
「地理学的に言うと、いわゆる沈降海岸。溺れ谷に海水が入り込み、かつての山頂が島として残った結果、こういう複雑な多島美が生み出されたわけだ」
さらに…
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