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第7話 第一次大坂の陣

7月17日、山口に帰る途中で厳島の寺院に立ち寄り、礼法を学ぶ。

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厳島にある寺院の中で最も歴史が古いと言われている「大聖院」ということにしておこう。なんでも806年に弘法大師空海が開いたとか。

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その結果…

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8月28日、山口に帰着したところで、いきなり…

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Nakajimas 中島重房

「豊臣家と徳川家に揉め事を引き起こした梵鐘の件でございますが、交渉の間、板挟みにあった豊臣家の片桐且元殿が出奔し、徳川家に登用されたようです。なんでも、豊臣家の狼藉者に闇討ちされかかったとか…。すんでのところで逃げおおせた片桐殿は…」

Hidemotos 毛利秀元

「徳川家に転がり込んだというわけか…。しかし、使者の命を狙うとはどういうわけだ? 同じ豊臣家の武将ではないか」

Nakajimas 中島重房

「片桐且元殿は、徳川家に通じていたという噂がございました。真偽のほどはわかりかねますが…」

Hidemotos 毛利秀元

「徳川方からすれば、仲介の使者を無下に扱ったことは挑発行為と見るだろうな」

主命の成果報告を行ったところ…

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そろそろ朝廷工作にも着手しておかねばなるまい。ということで、9月8日、京の公家・菊亭晴季を訪ねる。

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人物情報【菊亭晴季 1539~1617】
藤原氏七清華家の一つ、今出川家出身の公家。織田家の伝奏役を務めた。信長の死後は豊臣秀吉に接近し、関白就任を勧め朝廷に働きかける。娘が秀吉の養子・秀次に嫁ぎ姻戚となるが、秀次事件に連座して配流された。

茶の湯をふるまう。

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9月9日。

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徳川軍の用いた最新型大筒「国崩し」は豊臣方を震え上がらせることとなった。弾丸は天守閣にまで届き、空気を切り裂くような飛来音に夜も眠れなくなる者が続出した。

そして、その威力を誰よりも恐れた淀の方の鶴の一声により、豊臣方は終始強気であった態度を一転、徳川との講和を画策、これを取り結ぶ。

講和に際して結ばれた条件は、大坂城の惣構えの外堀を埋め、やぐらなどの取り壊しを徳川方が行うこと。また、二の丸・三の丸の取り壊しを豊臣方が行うこと、である。

かくして、天下の大合戦はあっけない幕切れとなったのである。

京まで来たついでに薬を購入。

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人物情報【施薬院全宗 1526?~1599?】
京都の医師。「施薬院」は「やくいん」と読む。比叡山の僧だったが、織田信長の焼き討ちの後に、還俗。曲直瀬道三に師事して医術を修得したのち豊臣秀吉の侍医となる。秀吉の推挙で朝廷から施薬院使に任じられ、比叡山再興にも尽力した。秀吉の側近として政務にも参与したという。

ついでに医術の技能も学ぶ。

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もはや恒例行事となった浦戸の茶会で、長宗我部元親に茶をふるまったところ…

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逼塞中の浪人のみならず、大名家に仕官している武将たちも引き抜きの対象にする。懐かしの広島城下に出向いて…

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ついでに城主の福島正則殿にもご挨拶。

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人物情報【福島正則 1561~1624】
豊臣家臣。幼名は市松。母は秀吉の叔母。賤ヶ岳七本槍の筆頭。幼少より秀吉に仕えて数々の戦功をあげ、加藤清正とともに出世頭となる。石田三成と対立して関ヶ原合戦では東軍に加担。先鋒として功を立て、安芸広島に大封を得たが、のち改易された。酒豪としても知られる。

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