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第21話 調略推進月間 その2

2月3日、多聞山城攻略。同16日、八上城攻略。同23日、丹波亀山城攻略。

連続攻城戦の結果…

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さらに3月5日、信貴山城攻略。

3月6日、墨俣城にて。

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人物情報【竹中重門(たけなかしげかど)1573~1631】
豊臣家臣。のち徳川家臣。半兵衛重治の嫡子。秀吉がその才を愛した半兵衛の子であることから優遇された。関ヶ原合戦では、初め西軍に属したが東軍に寝返り、小西行長を捕らえるなどして功をあげ、所領を安堵された。文才に優れ、晩年には秀吉の伝記「豊鑑」を著している。

4月8日から伊賀上野城攻略戦を開始。

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…で、筒井家は滅亡。

4月17日、小牧山城にて。

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人物情報【織田有楽(おだうらく) 1547~1621】
織田信長の弟。名は長益、のち有楽斎と号す。茶の湯に傾倒し、茶人として知られる。千利休と交流があり、利休七哲の一人となった。兄・信長の死後は豊臣家に仕え、千利休亡き後の秀吉の茶の湯を司った。関ヶ原の戦いでは東軍に属したが、戦後は豊臣家に出仕。大坂夏の陣で再び徳川家へ。

5月8日。

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兵部省は現在の防衛省にあたる機関ですな。その長官が兵部卿。

5月18日から二条城攻略戦を開始。

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10日後の27日には…

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7月3日、肥後・八代にて。

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人物情報【丸目長恵(まるめながよし)1540~1629】
相良家臣。通称は蔵人佐(くらんどのすけ)。上泉信綱に剣術を学び、タイ捨流を開いた。島津軍との戦いで敗因を作り、一時逼塞するが、のち復帰して兵法師範を務め、開墾事業にも従事した。武芸だけでなく和歌や笛にも優れていた。

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人物情報【飯田覚兵衛 ????~1632】
加藤清正の家臣。名は直景。清正とは幼い頃からの親友。豪傑として知られ、その活躍は豊臣秀吉にも認められていた。清正の居城・熊本城には、覚兵衛が守備した「飯田丸」と呼ばれる曲輪が今も残っている。

1603(慶長8)年6月末時点の勢力図。

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調略で毛利方に寝返った墨俣城の竹中重門と小牧山城の織田有楽が孤立した形になっているので、早急に尾張制圧を目指す。

7月19日。

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長島城攻略。

7月20日。

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秀元「わしも軍学に秀でた者を召抱えたかったのだ。是非とも我が配下に加わってくれ!」

人物情報【海野六郎(うんのろくろう)????~????】
真田家臣。真田十勇士の一人。昌幸・幸村と二代にわたって仕えた。十勇士の中では最古参であり、幸村の片腕として参謀役を務めた。海野家は真田家の本家筋にあたり、かつては信濃北部に大勢力を誇っていた名族である。

8月20日からはかつての織田家の本拠・清洲城攻め。

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6日後の8月26日には…

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9月4日、長篠城にて。

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人物情報【増田長盛(ましたながもり)1545~1615 】
豊臣家臣。秀吉に近侍して石田三成らとともに検地などの政務に従事。豊臣秀次の死後、大和郡山を引き継いだ。関ヶ原合戦の際は大坂城で豊臣秀頼を守り、戦後所領を没収された。

9月7日、二俣城にて。

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人物情報【織田信包(おだのぶかね)1543~1614 】
織田家一門。信長の弟。老犬斎と号す。信長の伊勢侵攻後、伊賀上野城主となる。越前平定や石山合戦などに参戦。織田軍団の連枝衆として活躍した。本能寺の変後は秀吉に仕え、関ヶ原の戦いの後には豊臣秀頼に近侍した。

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