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第20話 調略推進月間 その1

対徳川戦序盤の節目、大坂城攻略を開始する。

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この時期の大坂城は海に面していたようなので、村上水軍に援軍を要請し搦め手からも攻撃を加えてもらう。

11月7日、包囲を完了して大手門から攻撃開始。

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11月9日、大手門を突破。

11月11日、四の丸を突破。

11月13日、三の丸を突破。

11月15日、二の丸を突破。正確に2日ずつのペースでステージをクリアしている。

いよいよ本丸攻めを始めようとした矢先に…

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特に問題ないので…

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11月16日、わずか10日間で大坂城攻略に成功。実に喜ばしいことだが、苦戦を覚悟していただけにやや拍子抜け。

さっそく大坂城に入城した秀元のもとに訪問客が…

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人物情報【三好清海 1528~1615】
三好家一門。青海・清海などと号す。三好三人衆の一人。松永久秀らと謀り、将軍・足利義輝を殺害する。その後、久秀と対立し、久秀と結んだ三好義継とも戦う。織田信長が上洛すると、抵抗したが敗れて逃亡。のち豊臣秀頼に仕え、老齢ながら大坂の陣に参戦し、討死した。

11月18日。

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11月24日、伊勢国・大河内城にて。

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人物情報【氏家行広 1546~1615】
豊臣家臣。卜全の次男。兄・行隆の跡を継いで大垣城主となり、のち三塚城主となる。小田原征伐に従軍し、その後は伊勢桑名二万二千石を得て、桑名城主になった。関ヶ原合戦では西軍に属して籠城した。

11月29日、大和郡山城。史実では大坂夏の陣後に病死したこの人を調略。

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人物情報【片桐且元 1556~1615】
豊臣家臣。摂津茨木城主。賤ヶ岳七本槍の一人として活躍する。秀吉亡き後、主君・秀頼の傅役として主家存続のため奔走。しかし徳川方の調略にかかり、淀殿や大野治長らから内通疑惑をかけられると、いたたまれず大坂城を退去した。大坂の陣後、心労により病死。

11月3日、近江国・日野城。この人も関ヶ原直後に自害したはずなんだが…

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人物情報【長束正家(なつかまさいえ)????~1600】
丹羽家臣、のち豊臣家臣。丹羽長秀の近臣を勤めたが、長秀の死後、豊臣家に仕え五奉行の一人となる。算術に通じ、検地や築城、財政処理などで内政手腕を発揮した。関ヶ原合戦では西軍に属し、敗戦後、自害した。

12月6日、伊勢国・安濃津城にて。

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人物情報【分部光嘉(わけべみつよし)1552~1601】
長野工藤家臣。細野藤光の次男。分部家の養子となり家督を継ぐ。織田信長の伊勢侵攻軍に対して、兄・細野藤政の抗戦論を抑えて恭順を主張し、長野家を継いだ織田信包に属す。のち豊臣秀吉に仕え、太閤赤母衣衆に入った。

調略推進月間終了。その結果…

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12月20日。

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調略の一方で、武力行使も怠りなく…

1603(慶長8)年 1月18日、高槻城攻略。同27日、勝龍寺城攻略。同30日からの多聞山城攻めの最中に…

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分部光嘉。わずか1ヶ月あまりの付き合いであった。

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