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2011年3月

第13回 比叡山焼討ちとか

1565(永禄8)年12月29日。

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まったく、次から次へと…

Tabibito 旅人

「本願寺の顕如殿が、ついに織田家と正面から戦う気になったとのこと! 将軍家の使者が訪れ、本願寺に出撃要請をしたという噂でして、顕如殿も危機感を持ったのだと思われまする」

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12月30日。

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1566(永禄9)年1月18日、目加田にて。

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人物情報【西川仁右衛門(にしかわじんえもん)????~????】
近江の商人。屋号は「山形屋」。豊臣秀吉が近江八幡城の城下町を楽市楽座にしたのに伴って開業。初め蚊帳や塩干物を商っていたが、八幡で畳表の生産が盛んになると、東海道方面に畳表の行商を展開した。子孫は江戸日本橋に店を構え、今日まで商売を続けている。

1月21日。

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1月29日。

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Ouka 椿桜花

「なんと…」

1566年1月、近江・姉川の地で、織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍が激突した。戦いは織田・徳川軍の圧倒的勝利に終わり、敗れた朝倉家と浅井家は衰退を余儀なくされた。織田信長の「天下布武」は着実に一歩進んだのである…

さらに、2月1日。

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Ouka 椿桜花

「ええっ! それはまことですか?」

Tabibito 旅人

「はい。信長は、敵対する浅井・朝倉の残党を匿ったという罪で、比叡山に糾問の使者を立てましたが、山側ではこれにまったく応じず、ついに信長は全山への攻撃命令を発しました。比叡山も必死の抵抗を試みましたが、数に勝る信長軍の前に全滅しました」

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伝教大師の建立以来800年弱、威勢を誇った寺社勢力の総本山は中世的権力の象徴であり、それを破壊した信長は、中世から近世への時代の変革者としての評判と、悪逆無道の第六天魔王という非難をともに受けることになった…

2月8日。

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2月18日。

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名所を三箇所訪れると、ゲットできます。

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第12回 織田信長上洛

12月2日、内城にて。

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島津家第16代当主になる男です。

1565(永禄8)年1月1日。

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Shinobi 忍者

「六角義治殿は観音寺に篭り、領内諸将に集結を求めましたが…諸将は沈黙を守っておるようです」

Ouka 椿桜花

「…管領代六角家の威令も最早達するところなし、か…」

織田家は観音寺を包囲する一方、南近江の諸豪族を経略…諸将は相継いで織田家に帰参した。果たして観音寺城は一戦の後、落城…六角義治は城を捨て潜伏を試みるも、諸将は逆に織田家に協力…。

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こんな風になりました。

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同日の評定で…

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1月5日、再び吾作登場。

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Ouka 椿桜花

「…何でございましょう?」

Otoko 吾作

「実は、それがしの爺さまが重い病にかかっておりまして、もう何年も床に伏しております」

Ouka 椿桜花

「じ、爺さまですか? このあいだは確か婆さまと…」

Otoko 吾作

「え、ええ。婆さまはおかげさまで元気になりました。今日は爺さまの話でして…その爺さまが最近うわごとのように申しております」

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どうも様子がおかしいけど、結局、備前焼を買い付けてくることに…。

2月16日、鍛冶技能に磨きをかけるため、雑賀の芝辻清右衛門のもとで硝石購入の下働きをして…

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さらに備前・長船に飛んで、備前焼の開発資金を投資。あ~忙しい。

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2月30日(?)。

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Shinobi 忍者

「今川氏真殿の攻撃を受け、一旦は和睦したものの、駿府にて誅殺されたよし」

Ouka 椿桜花

「一度裏切った者を信ずるわけにはいかない…筋は通っていますが、人心は離れていくでしょうね」

果たして、西遠江は草を薙ぐが如き勢いで、松平家の切取りを許していった…

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