第41回 足利義氏の最期
10月5日。
11月26日。
織田家の象徴とも言うべき安土がついに落城しました。
12月13日。
徳川の主力がその勢力圏の西端で織田を攻撃しているため、東から攻め上がる天城軍の進撃は超順調です。
1584(天正12)年2月6日。
最後の居城・坂本城が落城し、信長が築いた一大勢力はあっさり雲散霧消。ある意味、これは徳川家康の織田信長に対する復讐なのかもしれません。
一方で、攻撃の手を緩めない天城軍。
3月28日。
椿桜花
「大鷹殿、これも何かの縁、大野さまを召し抱えてはいかがでございましょう」
天城大鷹
「おお、これはまたとない話! 拙者も治長殿を召し抱えたいと考えておりました」
史実では豊臣家に最後まで忠誠を尽くした大野治長ですが、多少は処世術を身につけたのか、この世界では飛ぶ鳥を落とす勢いの天城家になびきました。
5月18日、長年の因縁に決着をつける時がやってきました。
椿桜花
「金の問題じゃありません。そなたの存在がもはや鬱陶しいのです(原因を作ったのは私ですが)」
「ひっ!! ど、どうか命だけは!」
そりゃそうでしょうねぇ。
5月22日。
6月13日。
7月16日。
9月20日、天城大鷹自ら出撃の結果…
それでも一向に攻撃の手を緩めない天城軍。
破竹の勢い、怒濤の勢いです。ちなみに、この時点での勢力図。
房総方面は里見の勢力が目立ちますが、天城家の勢い、とどまるところを知らず。
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