番外編 毛利秀元外伝?
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1606(慶長11)年2月23日。なんだか展開が早くなってきた。というか、些末なできごとをかっ飛ばして本筋だけを追うようにしたからだけど。
4月4日。
4月22日。
4月29日、行商人から逸品を購入。
このゲームに登場する刀剣アイテム中、ナンバー4の威力と価値を有する品である。
ところで、この時点でわが毛利家の勢力範囲がどうなっているかというと…
1606(慶長11)年末から、いよいよ関東甲信地方に進出する。
11月15日。
…下山城攻略。続いて12月5日、韮山城攻略。
12月14日。
明けて1607(慶長12)年1月3日。
毛利秀元
「どういたした、親次。散策か?」
志賀親次
「はい。春の息吹にいざなわれて、ついふらふらと…。
ところで大殿、このように天候に恵まれた日に、盛大に野点など催せば爽快にございましょうな。大殿の茶人としての名声は、既に天下に鳴り響いておりまする。しかも、大殿が所有なさいます馬蝗絆は誰もがひと目見たがる名品でございます。大殿が大茶会を開催するとなれば、各方面の有力者が参加する素晴らしい会となることでございましょう。
どうでございましょう。戦乱の世にひととき大輪の華を咲かせてみませぬか」
毛利秀元
「そうだな。なかなか粋な考えであるな。茶の醍醐味を広く世に知らしめるためにも、ひとつ盛大な茶会を開いてみようか」
志賀親次
「それでこそ、大殿。想像しただけで、今からもう愉快でございます。準備や告知に必要な期間を考えると、来月の初旬あたりが良いでございましょう」
毛利秀元
「来月初旬って…寒くないか」
志賀親次
「…確かに寒うございます。ただ、ゲームシステム上『来月の初旬』は変更不可能なようでして…」
毛利秀元
「わかった。やむをえまい」
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調略の一方で…
3月27日。
市三郎
「こう見えましても茶の湯には長く親しんでおる者です。今日はご高名なあなた様のご経験にすがりたく参上した次第にございます」
毛利秀元
「ほほう。して、それはどのような話であるか?」
市三郎
「笑わないで聞いていただきたいのですが、私、茶を飲むと必ずと言ってよいほど、むせてしまうのです。一度、大事な席でやらかしてしまってからというもの、どうにも治すことができません。一人で茶を点てる場合には平気なのですが、人の目があるといけないのでございます。しかも、いったん咳き込み始めますとなかなか収まりません。場が台無しになってしまいます。何とかしてこの妙な癖を治すことはできませんでしょうか? もうあなた様だけが頼りなのでございます」
毛利秀元
「それはまた奇怪な話だな。こんな相談は誰にも受けたことがない。しかし、やれるだけのことはやってみよう。実際にここで飲んでみなされ」
市三郎
「おや。大丈夫で…げふげふげふっ! やはり…ごほ、大丈夫では、えふっ、ありませごほんでした…んふっ」
毛利秀元
「はた目にも緊張し過ぎなのが良くわかる。碗を手にしたときから、からくり人形のような動きをしておったぞ。茶の席では心を平静に保っておかねばならん。人に礼を尽くすことと人目を気にすることは違うのだ。おぬしには精神一到の訓練が必要であるな」
市三郎
「はあ…。しかし、そのような落ち着きを手に入れるには、ごほっ、どうすればよいのでしょう」
毛利秀元
「そうだな…おぬし、弓の訓練などしたことはおありか?」
市三郎
「いえ、そのような必要はございませんので…げひっ」
毛利秀元
「弓ほど集中力の必要なものはない。ものは試しだ。やってみぬか?」
市三郎
「さようでございますな。修業で状況が悪化することはございますまい。試してみましょう」
…といういきさつで、弓の修業にいそしんだ後…
市三郎
「結構なお手前でございました……今度こそ大丈夫でございます。克服しました! ただひたすらに茶の味を、この静寂を楽しむ…その心を忘れていたのでございますね。思えばあのときに、洗練された振る舞いを披露してみせようとして芽生えた自負心が失敗の原因となったのでございましょう」
毛利秀元
「そしてそれからというものは、恐怖心が常におぬしを脅かしておったわけだな。心を失った形式だけの礼儀など無いほうがましじゃ。これからは心ゆくまで茶を楽しむがよろしい」
市三郎
「ありがとうございます。人生に喜びが舞い戻りました。御礼にこれを差し上げます。あなた様の元に置いていただいても恥ずかしくない品にございます」
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NHK大河ドラマ「天地人」で一躍有名になったこのお方と邂逅。
妻夫木さんとはあまり似ていません。
9月24日、江戸城下。ここで驚くべき事実に遭遇。
第二次大坂の陣で散ったと思われていた真田幸村が、徳川の配下として存命している…。
事の次第を確かめるために、さっそく訪問。
真田幸村
「ご来訪をお待ち申し上げておりました。毛利殿」
毛利秀元
「それにしても驚きました。大坂で最期を迎えられたとばかり思い込んでおりましたゆえ。どういういきさつで江戸へ?」
真田幸村
「それは………(紆余曲折を考えるのが面倒だ~)………という次第にございまする」
毛利秀元
「なるほど…。ところで、御父上の昌幸殿が当毛利家に仕えておられることを御存知ですかな」
真田幸村
「風の便りに聞き及んではおりました。まことでござりましたか」
毛利秀元
「昌幸殿も再会を熱望しておられるはず。一度、大坂にお越し願えまいか」
真田幸村
「いえ…」
毛利秀元
「!?」
真田幸村
「一度と言わず、この際、徳川から離脱して毛利殿の麾下に馳せ参じとうございます」
毛利秀元
「! 願ってもない幸せ。貴殿には当家における部将の地位を用意させていただきまする」
いささか出来すぎの展開だが、これで軍事面に関しては最高・最強の陣容が整った。
10月18日、水口城攻略。11月2日、佐和山城攻略。11月16日、長浜城攻略。
11月23日。
正一位が見えてきた。
12月1日、一乗谷城にて。
人物情報【織田信雄(おだのぶかつ)1558~1630】
織田家一門。信長の次男。信忠の実弟。伊勢国司・北畠具房の養子となり、家督を継ぐ。本能寺の変後、秀吉と結んで弟・信孝を討った。間もなく秀吉と敵対し、徳川家康と結んで小牧長久手合戦を起こすが、単独で秀吉と和議を結ぶ。その後は秀吉に属したが、のちに配流された。
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