第20回 独立~椿屋創業
11月21日。
椿桜花
「また、あんたか。吾作」
町人男
「はぁ? それがし吾作ではございませぬが…」
椿桜花
「えっ? これは失礼しました。町人男さんでいらっしゃいますね。ごめんなさい。あんまりよく吾作に似ていらっしゃるものですから。ところで、今日は何か?」
町人男
「何でも、今年より毎年開催されることになった大会とのことです。場所は京の町、日時は2月の10日。その名のとおり、鉄砲射的の腕前を競う催しでございます。順位によって賞金が出るとのこと。成績が良ければ、天下に名を轟かせることになりますし…」
椿桜花
「面白そうではありますね。都合がつけば出場してみましょうか」
町人男
「そうなさいませ。それがしは応援に行くことはできますまいが…」
椿桜花
「よく知らせてくださいました。感謝します」
12月3日、薩摩・内城。
年明けて1569(永禄12)年1月30日。
あっさりと…
2月1日、待ちに待った朗報です。
椿桜花
「と、仰せられますと…?」
今井宗久
「つまり、のれん分けということじゃ。おまえもそろそろ自分の店を持ちたいとは思わぬか?」
椿桜花
「ありがたく存じまする! 私もかねがね自分の店を持ちたいと考えておりました」
今井宗久
「そうか。ならば、おまえにのれん分けを許す! 今後は商売敵になるやもしれぬが、おまえの思うとおり商いの道に進むがよい」
椿桜花
「はい。大旦那のご厚恩、桜花は生涯忘れませぬ」
屋号は「椿屋」です。
納屋を辞したところで…
四国統一のため中央との結びつきを強固にし、本土からの侵攻を押さえようとした長宗我部元親と、毛利牽制と四国を労せずに影響下に取り込めるという織田信長の思惑が一致した結果であった。
織田信長は長宗我部元親を「無鳥島の蝙蝠」と呼んだと言う。優れた人物のいない所で小物が暴れまわるのを「鳥無き里の蝙蝠」と言う。つまり、織田信長は「お前が暴れまわるとは四国に兵無しだな」と長宗我部元親を揶揄したのである。
長宗我部家側から使者に立った中島可之助は、信長の揶揄を平然と受け流し、当意即妙の機智を以ってこれに応じる。
「我殿は蓬莱宮のかんてんに候」
伝説の蓬莱島の天の川の如き雄大な方と、主君を堂々と擁護してみせたのである。
この稀有壮大な返答には流石の信長も苦笑、長男・弥三郎の烏帽子親を快く受け入れる。
椿桜花
「織田家の後ろ盾ができた以上、四国での長宗我部家の勢いを止めることはできませんね」
織田家と友好関係にある勢力
逆に敵対関係にある勢力
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