番外編2 最後の勢力図
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1594(文禄3)年1月15日。旧羽柴家の家臣を勧誘したところ、超大物が椿屋=天城家入りしてくれました。
2月9日、なんと島津が毛利に攻め込みました。
2月24日。
近畿以東はすべて椿屋の商圏です。
2月29日、同盟から離脱した里見家への攻撃を開始。
3月4日、いよいよ大団円が近づいてきました。
4月6日。
4月9日、旧羽柴家臣のこの人も椿屋入りです。
5月15日。
5月21日、加藤清正が天城家入り。
6月8日。
6月24日。
里見家終了。
8月11日、佐竹氏の居城・烏山城を攻略して…
8月23日、念願の大坂城入りです。
ついでに官位一覧も。
もはや天城大鷹一色。
これでもまだ天城家になびく気配のない十河家を…
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10月3日。
10月8日。
10月30日、九州から訃報。
跡継ぎは大友親家。史実では、仲の悪かった兄・義統が跡を継ぎましたが、その義統は何と宿敵・長宗我部家に仕えていました。
11月4日。
島津の猛攻にさらされた龍造寺家。なすすべなく戦国から消え去りました。
11月22日。
11月29日。
1591(天正19)年1月2日、主家を失って平戸に逼塞している鍋島直茂を天城大鷹に引き会わせます。
椿桜花
「大鷹殿、これも何かの縁。鍋島さまを召し抱えてはいかがでございましょう」
天城大鷹
「おお、これはまたとない話! 拙者も直茂殿を召し抱えたいと考えておりました」
ここに鍋島直茂が加わるわけです。
まさに人材の宝庫ですね。
1月30日。
2月30日(?)。
ついに大友家滅亡。九州は島津が掌握しました。
5月4日。
6月4日。
6月27日。
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天覧試合の続きです。
今回は天城大鷹はエントリーしていなかったようです。徳川との戦いでそれどころじゃないんでしょうね。
優勝できました。上泉師匠が存命だったら、こうはいかなかったでしょう。
おお、後陽成天皇からありがたいお言葉です。さらに賞品として超逸品をいただきました。
7月21日。
7月28日。
徳川の支配下城は残すところ三つになりました。
滅亡までのカウントダウンもあとわずかです。
8月10日。
なんか九州が変なことになっています。
羽柴による島津討伐のはずが、島津による羽柴駆逐の様相を呈しています。ついに常勝・羽柴秀吉にも土がつきましたかね。ただ、島津の勢力伸長もこの程度にしておいてもらいたいものです。天城大鷹による天下統一を長引かせることになりませんぞ。
8月17日。
9月5日。九州情勢を見て、天城大鷹が決断しました。
九州で防戦一方に追い込まれた羽柴家の背後から、天城軍団が攻めかかりました。本能寺の際は、毛利を巧みに騙して二正面作戦を回避した羽柴秀吉でしたが、天城軍団の猛攻の前に小細工を弄するゆとりさえありません。
11月6日。
11月10日。
12月4日。
12月8日。
わずか2ヶ月あまりで四つの敵城を攻略。この天城軍団の猛進撃は、今や戦国大名にとって恐怖の的です。
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1586(天正14)年1月1日。
2月16日。
故・武田信玄の居館が天城大鷹の手に落ちました。
3月4日。
やはり、天城大鷹より上位の官職に就いている大名はいませんでした。どうやら正一位エンドが最短のようです。
7月23日。
9月5日。
越後を除いて、東日本は椿屋一色をなりました。
9月17日。
11月1日。
各地の有力大名が相次いで羽柴家から離反。いったいどうしたことでしょうか。
1587(天正15)年1月18日。
一気に半年飛んで7月17日。
駿府付近で珍事が…。
船が陸に上がっています。もしかして大津波!?
明けて1588(天正16)年。昨年はえらく早く過ぎてしまったような気がしますが…それはさておき、1月4日。
また半年ほどすっ飛ばして8月4日。
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10月5日。
11月26日。
織田家の象徴とも言うべき安土がついに落城しました。
12月13日。
徳川の主力がその勢力圏の西端で織田を攻撃しているため、東から攻め上がる天城軍の進撃は超順調です。
1584(天正12)年2月6日。
最後の居城・坂本城が落城し、信長が築いた一大勢力はあっさり雲散霧消。ある意味、これは徳川家康の織田信長に対する復讐なのかもしれません。
一方で、攻撃の手を緩めない天城軍。
3月28日。
椿桜花
「大鷹殿、これも何かの縁、大野さまを召し抱えてはいかがでございましょう」
天城大鷹
「おお、これはまたとない話! 拙者も治長殿を召し抱えたいと考えておりました」
史実では豊臣家に最後まで忠誠を尽くした大野治長ですが、多少は処世術を身につけたのか、この世界では飛ぶ鳥を落とす勢いの天城家になびきました。
5月18日、長年の因縁に決着をつける時がやってきました。
椿桜花
「金の問題じゃありません。そなたの存在がもはや鬱陶しいのです(原因を作ったのは私ですが)」
「ひっ!! ど、どうか命だけは!」
そりゃそうでしょうねぇ。
5月22日。
6月13日。
7月16日。
9月20日、天城大鷹自ら出撃の結果…
それでも一向に攻撃の手を緩めない天城軍。
破竹の勢い、怒濤の勢いです。ちなみに、この時点での勢力図。
房総方面は里見の勢力が目立ちますが、天城家の勢い、とどまるところを知らず。
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1582(天正10)年2月18日。
今度は天城 vs 相馬…。奥州情勢、ますます混沌としてきました。
3月4日。
3月20日、黒川城にて以前椿屋から追放した関盛信と出くわしました。それはそれ、これはこれとして贈り物をしたところ…
ところが、直後に自宅を訪問すると…
エキセントリックな奴…。まったくわけがわからん。やっぱり追放しておいてよかった。
4月2日、大坂城にて。
黒田官兵衛
「…と思ったら、紹介相手を忘れてしまい…ううむ、きっかけさえあれば思い出せそうではありまするが…」
椿桜花
「…」
黒田官兵衛
「ほっほっほっ、気になる品が一つあってな…それさえあれば、きっと何とかなるぞおや? おぬしの持つ赤糸威小腹巻…それさえあれば大丈夫だ。ほれほれ! 急がぬと忘れてしまうぞ!」
椿桜花
「…」
黒田官兵衛
「はて? 今、何と申したか? わしは耳が遠くてな。断ると申すのは、わしの空耳か?」
椿桜花
「何も言ってませんよ。それより、自分でやっていて虚しくなりませぬか?」
黒田官兵衛
「…おおおお…おぬしに紹介したい者を急に思い出したぞ」
さんざんもったいぶったあげく、誰かと思えば自分の息子かよ。
7月16日。
天城家の勢力拡大に伴い、椿屋も南奥羽の商人司に挑みます。
あっさりと…
9月22日。
はい、相馬家滅亡。
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